子供のころに農業体験から学んだことー感謝の気持ちとありがたさー

最近自然と触れ合うことが少なくなったなと感じています。

休みの日に出かけるとしてもついつい都会に足が向いてしまい、田舎に行くことがないですね。

でも自然と触れ合うことって必要なことだと思うんです。

都会で時間に追われる生活をしていると、なんだか心がささくれ立ってしまう感じがします。

子供の頃は自然の中で遊ぶのが当たり前だったので、田舎育ちの私にとって都会の生活は少し息苦しく感じることがあります。(都会といってもそんなに都会ではないんですけど)

子供の頃田舎の生活から学んだことはたくさんあります。

私の地元では農業、特に稲作をしている家が多くありました。

段々専業農家が減って会社に勤めながらお米を育てている家も増えてきています。

そんな農家の一つで、小学生を対象に田植えの農業体験をさせてくれるところがありました。

母がそのプログラムを見つけ、同じクラスの友達と参加するよう勧めてくれました。

最初は面白半分で行きましたが、農家の方は当たり前のことですが真剣で、泥に足を取られてきゃーきゃー騒いでいた私と友達は一度叱られてしまいました。

もちろんムッとしましたが、その農家の子供たちはいたって真剣で、農業体験で浮かれていた自分が急に恥ずかしくなったことを覚えています。

そのあとはシート状に育った苗を少し取り、耕された泥の中に一定の間隔で沈めていくという作業に没頭しました。

長靴を履いていましたが、泥にとられて一歩一歩ずぼっと抜かなくてはならず、最後のほうは足を上げることすら辛かったです。

ああ、なんで来てしまったんだろうと思いながらふと振り返ると、がたがたではありますが私の植えた一列の苗が並んでいました。

5月の温かい、からっとした風が吹いていました。

また横に目を向けると指導役の農家の方々のぴしっと美しい一列の苗が目に入りました。

そこだけ全然違ったのです。

みんなが汗をかいていました。

でも私たち体験の小学生の汗と農家のおじさんの汗は全然違うんだと思いました。

農業体験のわたしにも違いが感じられたのです。

農業体験が終わり、泥だらけの長靴を水路で流した後におじさんが少し話をしてくれました。

お米を育てるのは大変で、今日植えた苗も作るのに1か月ほどかかっていること。

この後も膨大な作業があり、それでも天候でだめになってしまうこともあること。

米は八十八と書く。八十八の作業を経て、人が食べられるごはんになるのだと。

わずかな時間の農業体験でしたが、10年以上たったいまでも鮮明に覚えているほど、インパクトがありました。

農業体験をすることは都会に住む人にとって非日常のことですよね。

それだからこそ農業体験をするべきなのかもしれないですね。

自分では学べないことを知ることができるのが農業体験だということです。

私は今もごはんを食べながらふと、農家のおじさんのきれいな苗の列とおじさんが話してくださったことをを思い出します。

子供の時にそういう農業体験ができたのは、とてもよかったと思います。

農家の方の苦労や自然の中で生育する苗の力強さ、お米が生産されるまでの努力を知ることができましたので、ありがたみや感謝の気持ちを知れます。

そして無駄にしてはいけないということも学んだことです。

今の学校では農業体験ってあるんでしょうかね?やってみると楽しいだけでなく、いろいろと学べることがあるはずですよね。

お米作りだけでなく、野菜を育てるというのでもいいですよね。

もっといえば果物狩りが最初でもいいと思うんです。

土のにおいを知ることや、そこに生きている虫たちを知ることでもいいと思うんです。

そうした命が芽吹く中で人間が共存していることを学べばいいのです。

そこから興味をもって自然について学ぶようになれば、おのずと感謝の気持ちのある、人の痛みや苦労のわかる大人へと成長していけるのではないかと思います。

自然と接することがあまりにも非日常になってきているから、快適さと結果だけが重視される世の中だからこそ、苦労や努力、結果が出るまでの過程をしることができる農業体験が大事になっているのではないかと思います。



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